amazarashiは原点に帰結するのか
始めに言っておきたいのですが、これから書くことに否定の意味は一切ありません。
世界収束二一一六は本当に名盤で、秋田さんが精神削って作られたものなので、宮沢賢治の童話が残っているみたいに寺山修司の戯曲が今も上映されるみたいに後の世に残って行って欲しいものだと思っています。
世界収束の中のテーマと思う曲は「花は誰かの死体に咲く」なんじゃないかと思います。秋田さんもこのテーマはこれからも歌っていきたいとインタビュー書かれていましたし。
何回も聴くうちに花は誰かの死体に咲くという曲の底に流れるテーマというか思想はあまざらしの初期のアルバムに入っていたつじつま合わせに生まれた僕等なんではないかと思うようになりました。
もちろん勝手に私が思っただけなのですけど、そのあとつじつまが新しいMVが作られて歌い直されたのでやっぱりそうだったのかなと思いました。
死者の埋まっている土に生きていて自分もいずれ土に還る。このことでほっとした気持ちになる。生きている間に咲いた花も歪んだ欲望も全部土に還る。
これを諦念と取ることも出来るかもしれないけど、そうじゃなくて時間の限りがあるから走れるってことなんじゃないかな。
仏教をきちんと勉強したらわかるのかな。虚無病が出た時も思ったけど実行できてないなあ…
それで今回出たシングルのカップリング曲のたらればの話に変わるのですが、花は誰かの死体に咲くとつじつま合わせに生まれた僕等が地続きだったみたいに、たらればも未来づくりと地続きなんじゃないかなと思っています。
今回のメッセージボトルツアーでエンディングに未来づくりがかかるのもそういうことなんじゃないかなと。
あなたがいるから自分が肯定できる。これがどちらにも流れる思想なんだろうと思います。
たらればは確定ですが、未来づくりも豊川さんが肯定の原因だと思っているのですが思い込みです。
でもどちらも同じじゃないんですよね。
未来づくりが生まれた時はまだamazarashiという形態にはなってなかったでしょうし、たらればはamazarashiという、言ってみれば大きなプロジェクトの中にいる歌ですし。
amazarashiは今また初期の頃に近づいて行っている。これからどんな風に進むんだろう。
というただの思い込みの感想でありました。
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